正月三が日はどこにも行かず、大人しくずっと「巣篭もり」していた。
実を言えば、それは何も今年に限ったことではなく、例年同じような感じ。
もともと自分は、人とワイワイ騒ぐことが苦手で、静かに生活することが好きな性分。
できる限り、混雑や賑やかな場所は避けたいと思っている。
普段休みの土日だって、遠く離れた旦那が来たり、自分が行かない限り、買い物や近所を散歩する程度で、家にいるのが当たり前の地味な生活ぶり。
特にここ最近は、親の介護の関係で、月の大半実家に居て、病院への付き添いなどをしながら、粛々と過ごしている。
そんな暮らし方をしている自分にとって、今年は近所も実に静かで、久しぶりにゆっくりすることができたのである。
連日遅く起き、雑煮を食べ、酒を飲み、その後はまた寝るという、とにかく自堕落な生活(食べてすぐ寝ると牛になる?あ!丑年だからいいのか?)
午後は腹ごなしに、少し近所を散歩したけれど、帰省家族も少ないようで、いつもの土日みたい(ひとり散歩している人は多かった)。
例年だと、多くの同級生が、子供を連れて戻ってくるもんだから、何となく肩身が狭いような、親に申し訳ないと思ったりもした。
今年はそういう光景を目にすることなく、ホッとする。
年が明けて、テレビで初詣のインタビューを観ていると、
「前みたいな世界に、早く戻りたい」という声をよく耳にする。
そう、確かに、現在は先の見通しが全く立たず、不安はますます高まるばかり。
日常もマスクをしたり、いろいろ制約ある生活は、物凄く息苦しさを感じる。
ただ、1年近くこの状況が続き、いろいろ不便を強いられているうち、自分には好都合と思えることも多々ある。
たとえば、仕事。
自分の勤務先は、管理職を除き、今在宅勤務が主となっている。自分の場合、家族持ちでないことから、他の管理職とは異なり、毎日出勤の日々。理不尽さを感じながら出勤してるけれど、それでも他の大勢の社員に会わずに済むのはありがたい。
他にも、惰性でやっていた無駄な会議が減ったり、オンラインに切り替わったこともよかった。
そして、忘年会やら新年会など、嫌々行ってた飲み会が無くなったことは、嬉しい限り。
こういう状況になって、改めて自分は、集団で、人と交わりながら何かをするのが、苦痛に感じるタイプだということが、よく分かった(社交性のあるフリは得意だけど…)。
「同性好き」という性的指向を自認した時から、「なるべく目立ちたくない」「静かに暮らしたい」という気持ちがどんどん醸成していった。
けれど、社会に出て年を重ねるごとに、それは許されなくなっている。全てのことにおいて、自分の思いとは逆に振る舞わねばならない。
もしも、この先いつか、感染状況が落ち着いたらどうなるだろう?
収束を願いつつも、心のどこかで、以前のような大勢の人が溢れ、喧騒を極める社会に戻ることへの不安に、苛まれる時もある。
ああ、生きていくって本当に大変だ。こんな風に思うのは、やはり年取った証?
こういう時は、あれこれ考えても仕方ないのかも…
だって、世界中がこんな状況では、どう足掻いても、自分が何か努力してどうなるものでもない。
先行き不透明な時は、もういつもの新年のように、「今年は●●したい」「●●でありたい」とかあれこれ考えるのはやめ、ただ淡々と過ごすしかない。
そして、日常に小さな楽しみを見つけながら、あれこれ望まず、何があっても、なるがままに…やるべきことをやるだけ。
「淡々と」過ごしていくうち、どうにかなっていくかも…そう思うしかない。
今年も、とりとめのないブログになりそうだけど、どうぞお暇な時にお立ち寄りを…