今年の4月の終わり、旦那と一緒に横浜の海を眺めていた。
穏やかに晴れ渡り、爽やかな風が静かにそよぐ気持ちの良い日。
だがそんな陽気とは裏腹に、気分は深く沈み込み、憂鬱そのものだった(過去記事「涙の先にあるもの」参照)。
3月にリフレッシュ休暇を取り、旦那と1週間の海外旅行を楽しんだ半月後、突然人事部への異動(旅行に行く前に内示があったけれど)を命じられた。
同僚の大半は一癖も二癖もある人間ばかり。直下は「猛女」と言われる猛烈社員。そして上司は役員も兼ね、「人事の鬼」と呼ばれる男。
ものすごく優秀ではあるが、感情を一切面に表さず、いつも会話はメールのみ。朝も夜も挨拶もなく、この人に心はあるのだろうか?と思えるほど誰にも冷酷非情な男。
鬼と同じ空間にいるだけで、息苦しくなるほどだった。
同部では「人事制度改革」が進行し、連日23時過ぎまでの勤務が続くという、過酷な状況。
これまでの生活から一転、渦のような中に放り込まれ、完全アウェイ状態。
親しかった同僚からも疎まれ、社内で味方は殆ど居なくなった。四面楚歌とはまさにこのこと。
勤務先は半官半民。
ある時を境に、役員は外部から定期的に人が送り込まれるようになっていた。
くだんの人事改革は、外部から来た者だけを優遇し、自分のような生え抜き役職者らを段階的に不利益にしていくという内容。
そんな理不尽な人事計画が水面下で着々と進んでいくのに、何も出来ない不甲斐なさ。
知りたくもない様々な同僚の情報にふれたり、信じられないような社内の実態にウンザリし、異動して以降、何度辞めようと思ったことか…
大学を卒業して今の勤務先に就職し、仕事が嫌だと思うことは数えきれないくらいあったけれど、「退職したい」とまでは考えたことがなかった。
本当にどうしたらよいものかと、大学時代の恩師や外部の親しい人にも相談した。
だがそう簡単に事は運ばない。
旦那にも少し話はしていたが、あまり彼に心配させたくないこと、そして愚痴ばかりになるのが嫌で、電話ではほとんどふれないようにしていた。
結局自分のことは、自分でどうにかするしかないのだ。
ずっと重い気持ちを抱える自分。
久しぶりに旦那に会った際、促されて全てを吐き出した。
すると旦那は春の海を前に、こう言った。
「これまで培った力を信じて、3ヵ月くらい耐えてごらん。何かが見えるはず…」
分かったような、そうでないような…その時は旦那の言った全てを受け入れることができず…その後も悶々としながら嫌々仕事を続ける日々。
でも、ひとつだけ変わったことがある。
それは嫌な状況に「慣れた」こと。
………
それから8ヵ月近くが経過。
ふたたび旦那と横浜へ。
ふたりで同じ海を眺めていた。
雨は降っていないけれど、曇っていて空気がかなり冷たい。
冬の海は寂しい感じがする。
でも心は春の時よりずっと軽やかだ。
(4月にもこうして同じ景色を観ていたんだな…あの時はこんな気持ちになることができなかった)
そう、実は11月の末に突然、鬼が去ったのだ。
正確には関連会社に異動。
見送り会も一切拒絶し、挨拶もなく去った鬼。まさかこんなことが起きるとは思ってもみなかった。
鬼の代わりに新しく人事部のボスとなったのは、社労士の資格も持つ温厚な人。
その人が着任した途端、連日遅かった部署が、突然早く帰らせられるようになった。
では、これで全ては解決したのか?
答えは否である。
上司が変わろうが、根本的なことは何も変わらない。新しい人も所詮外から来た期間限定の人。
水面下で進む人事計画だってそのまま。
泥船はただ沈むしかない。
そうなると長居は無用。早く脱出せねば…
でも何処へ?
自分は本当は何をしたいんだろうか?
いい年をして自分探しなんて何になる?
そう自問自答しながらも、やっぱり今の勤務先は、このまま居る場所ではないと考えてしまう。
もちろん、今は面従腹背。与えられた仕事はとにかく十分こなし、吸収できるものは吸収し、飛ぶ立つ準備に備えていきたい。
ああ、人生はまさに海のよう。
静かな時もあれば、荒れる時もある。
それでも生きていくためには泳ぎ続けなければならない。
ただ今は、少しだけゆっくり漂いながら考える時間がほしい。
大桟橋には大型客船が停泊中。
「船の旅…いつか一緒に行こう!」
海を前に旦那とそんな話をする。
今年のいろいろな出来事が頭の中を駆け抜ける。
嫌な思い出は頭の隅にやり、旦那との数々の楽しい思い出だけに浸りながら、のんびり年越をしたい。
最後に…
辛かった時、多くの方から★や励ましのコメントをいただき、どれだけ嬉しかったことか…大袈裟でなく、コメントを読むたび、感謝でいつも涙が出て止まらなかった。
ありがとうございました(^-^)
(3月のリフレッシュ旅行より)
皆さんも、それぞれの良いお年をお迎えください。