突然の異動により、激務の人事部に放り込まれたのは、今年4月のこと。
そしてかれこれ半年以上が経過した。
仕事がキツくて辛いのは言わずもがな。
相変わらず同じ部署の者と必要最低限しか言葉を交わさず。もう以前のように愚痴をこぼしたり、話せるような仲間は近くに居ない。
可愛がっていた後輩とも離ればなれに…>_<
異動前に一緒の部署で働いていた新入社員のE君は、地方支社社員の突然の退職により、後任として異動、つまり転勤となってしまったのだ(過去記事「若き後輩」と「続・若き後輩」参照)。
自分の勤務先の後輩達は意識高い系で上昇志向の人間が多く実に扱いづらい。
そんな連中の中で、E君は男らしい容姿にもかかわらず、控えめで常に何か恥じらうような表情をしていた。
彼はイマドキの子にいそうな、笑いの絶えないチャラチャラしてるタイプではなく、落ち着きのあるどこか昭和を感じさせる寡黙な若者。
さらに、学生時代からのスポーツと最近のジム通いで鍛えたという逞しい身体は、胸板が厚く、いつも惚れぼれしてしまう。
若い子には殆ど関心がないはずなのに、E君と一緒にいるとどうにも不思議な気持ちになったものだ。
彼は職場で群れることなくいつもひとりで行動していたが、なぜか自分だけには懐き、昼飯に行ったりするうちに、よく喋るようになった(同じ部署だったということもあるけれど)。
自分もE君と一緒のときはあまり世代の差を感じることなく、リラックスできた。
いつか「結婚が決まりました!」と言ってくるときまでは、この楽しい時間がしばらく続くと思っていた。
だが、自分の異動、そしてE君までも地方へ異動させられ、もう簡単には会えなくなっていた。
そうした中、10月下旬に人事部主催の若手向けセミナーがあり、自分も出張することになった。場所は西日本の某ホテル。
会場に着くと、各支社から集まった若手社員らが一堂に会し、ワイワイ話をしている。
その中に俯き加減にひとりポツンと佇む背の高い男…E君だ。
相変わらずジムで鍛えているのか、肩幅も広く、ガッチリしているのが遠目からもよくわかる。少し肉がついたかな?
それがまたいいんだけど…
荷物を置き、手洗いに向かうと、E君が入ってきた。鏡越しに自分に向かって恥ずかしそうに会釈をする。
久しぶりの再会がトイレ!というのもなんだかおかしいけど、自分も思わず笑顔で返す。
特定の社員と親しくすることは避けるように言われている手前、しばらく洗面所前で話しをする。
目を細めながら、時折伏し目がちになるE君。
改めてそばで見ると、ワイシャツ越しにもわかる隆々と盛り上がった厚い胸板が実に眩しく、肌も綺麗で若々しい。
子供っぽい表情と大人の身体のギャップに思わずクラクラしてしまう。
ひとり暮らしの毎日は、ジムと風呂屋通いだとか…
(E君の裸はどんなだろう?)
ふと、いけないことを考えてしまう。
やがてセミナーが始まった。
小グループに分かれて、ひとりずつプレゼンをし、その後フリーディスカッション。
自分は部屋の隅からE君だけをじっと見守る。
順番の回ってきたE君は、恥ずかしそうに、でも一生懸命に話しをしている。
彼の採用面接に立ち会った際、借りてきたものでなく、自分の言葉で話す彼にとても好印象を抱いたことを思い出した。
あれからまだそれほど年月が経っていないのに、E君は随分と成長した気がする。
なんだか親が子を、いや年の離れた弟(くらいに思いたい)を見守る兄のような気持ちになっていた。
セミナー初日が終わり、立食懇親会の時間。
E君はスッとやってきて、軽く頭を下げながら、掠れたような声で
「発表無事に終わりました…」と嬉しそうに言ってきた。自分も思わず相好を崩し、しばらく談笑。
E君以外の若い後輩達は皆テーブルで喋りながら料理を取りまくっている。
立食料理なんて数に限られており、あっという間に残り僅かになった。
E君に早く料理を取るように促すと、
「ここで食べなくていいんです。部屋戻ったらピザをデリバリーしてもらいます」と。
E君は、すかさずスマホのアプリを自分に見せる。一番近くのピザチェーンに注文し、部屋に持ってきてもらうというのだ。
(セミナー時にピザをホテルにデリバリー?)
彼の発想に少し面食らう。
「あの…もしよかったら、部屋で一緒にピザ食いませんか?ひとりだと量も多いし…」
え?
突然の提案にさらに戸惑ってしまう。
さらに彼の「食う」という言葉に苦笑いしながら、E君と彼の部屋でふたりっきりで一緒に食事する場面を想像する。
(椅子もないからベッドに並んで食べる?…σ(^_^;))
何て返事しようかと数秒考えているところへ、自分と同じ部署の直下の猛女がやってきた。無愛想な彼女はニコリともせず、自分とE君のことを上目遣いで睨みながら、「人事の鬼」こと人事部ボスが呼んでいると告げる。
自分は溜息をつきながら、E君にあとで連絡すると伝え、猛女と共に「鬼」のもとに向かった。
話が終わればすぐ解放されると思っていたが、着くとすぐさま鬼は、
「今から打ち合わせをするから…」と言い出し、宴会場の一室に人事部員を集めるようにと命じた。
(何でここまできて今ミーティングなんてやるんだろう?今夜はいつ終わるんだろう?)
急に気分が重くなった。
鬼は「残業」という感覚が全くなく、夜だろうが日中同様に仕事をし続け、部下にも平気でそれを求めるタイプ。
もうそんなことはすっかり慣れてしまったけれど、今夜くらいはE君と久々に再会し、許されることではないと分かりつつも、誘われた部屋に行きたかった(ピザ食べるだけだけど…)。
自分はすぐに懇親会場にいるE君の元に行き、訳を話した。
するとE君は顔色ひとつ変えずに、
ただ
「わかりました…」と一言。
彼がどんなふうに思っているかはわからない。ただ、少しガッカリしてくれていたらいいのに…なんて考えてしまう。
緊急ミーティングが終わり、宿泊部屋に戻ったのは0時過ぎ。
翌日は皆より先に、朝早い新幹線でオフィスに戻らなければならない。
冷静になってみると、軽々しくE君の部屋に行かないでよかったと思った。
「他部署の社員と懇意にしない」というのが人事部の掟。異動以来散々言われてきているのに、それを破ったと同僚に知られたら何を言われるかわからない。
E君はいちいち言いふらしはしないだろうけれど、危うく彼にも迷惑をかけてしまうところだった。
………
朝チェックアウトを済ませ、駅までの少しの沿道をひとり急ぎ足で歩く。
ふとE君のことが頭に浮かぶ。
(次に彼と顔を合わせるのはいつだろう?)
空を見上げると、急に雲が覆い始め、雨でも降りそうな気配。起きた時は窓から日が差していたのに…
秋の空模様は変わりやすい。
人の心もまた同じ。
(きっとE君も、遠い赴任先に戻れば、自分のことなんてすぐ忘れてしまうんだろうな…)
冬が近づきつつある。
過ごしやすい季節はそう長くは続かない。