遠距離恋愛ゲイの独り言〜ふたたび

旦那と15年以上遠距離恋愛しているゲイのブログ。日常の些細な悲喜交々を気の向くままに。

「いつか」っていつ??

世間は夏休みの真っ只中。

朝の電車も普段より少しばかり空いている。


電車の窓から外を見ていると、成田エクスプレスが空港に向かって走行中。

旅行者らしき人達が大勢乗っている。


(ああ、いいなぁ〜!これから空港に向かうんだ…海外旅行に行けるなんて羨まし過ぎる!)


かく言う自分もほぼ毎年、夏休みに旦那と海外に行っていた。

 

夏のヨーロッパは湿気がなくて、実に過ごしやすく、酷暑の日本から脱出する先としては最適だ。でも今年はニュースでも報道されているとおり、欧米は「熱波」でものすごいらしい。

そんなニュースを見るたび、イソップ童話の「すっぱい葡萄」のように、

「ああ、熱波なんだから行けなくて正解!」なんて思ってしまう(本音は行きたくて仕方ない)。


旦那と自分は旅行好き。

長年遠距離付き合いなので、短い間でも四六時中一緒に過ごせることが堪らなく嬉しい。

しかも海外であれば、非日常を味わえるので尚更だ。


旦那の職場はフレキシブルに働けるので、長期休みも取りやすく、海外へも行きやすい。


一方の自分は、これまで相当無理をして休みを取って行っており、さらに今年春の部署異動により、海外旅行は「遠い夢」になってしまった。


前は、

「今テレビで、一緒に行った○○の旅番組がやってるよ!」

と連絡し合ったり、旅行雑誌やDVDを見つければ購入し、会った時に一緒に楽しんだりするのが常になっていた。

もはや行けなくなった今、そういうことはなるべく避けるようにしている。

それでも、ふとした時に旅行の思い出話しをしたり、ふたりで撮った写真を見ていると、

旦那は、


「夏休みはダメだったから、シルバーウィークにヨーロッパへ行こう!秋は景色が綺麗だよ!無理なら年末は?クリスマスマーケットは最高だよ!」

なんていいだす。


(行けるものなら行きたいよ!でも今の部署で今の立場にいる以上、絶対無理!)


内心ではそう思いつつも声には出さず、

そんな時は、決まって、


「うん…そうだね。今年3月に行ったから…そのうちまたいつか行きたいね」

と濁してばかりの自分。

そのたびに、旦那は小さな溜息をつく。


ある日、また同じような会話になった際、


「“いつか”っていつだよ?そんな風に言ってるうちに、お互いにどんどん年取っちゃうんだよ。君が定年でようやく自由になった時、俺は杖でもついてるかもしれないんだよ」

 

そう言われ、なんだか無性に悲しくなった。


(そんなことは嫌でもわかってるよ)

 

自分と旦那は10歳以上離れているので、自分が定年になった時、旦那は70代。

70代なんてまだ十分若いという気もするけれど、体力、気力は当然今より衰えているだろう。

まだまだ遠い先の話と思いつつ、「そのうちいつか」なんて言ってると、本当にどんどん月日が経ってしまう。


(自分は一体何のために、こんなところでこんなにあくせく働いているんだろう?)


勤務先は半官半民なので、正直真面目にやろうがやるまいがそう大差がない。

けれど今は全く自由な時間もなく、ただただひたすらに仕えなければならない身。


奥さんがいて子どももいる男なら、父親として養育費やら何やら、そして夫のメンツとやらで猛烈に頑張るんだろう。

けれど自分はそんなものは何一つない。


派閥意識も帰属意識もなく、出世にも全く興味がない。

ただ何か周りからあれこれ言われるのが嫌で、

「勤めている限りは最低限のことはやろう」というだけ。


(ここでこれから先、自由な時間もなく、何の目的もなく、ただ惰性で働かなければならないのであれば、他の勤務先でもっと違う働き方をしてもいいのでは?)

と、最近つくづく思う。


そしてもうひとつ。

旅行なんかよりももっと大事なこと。

「ふたりで一緒に暮らす」としたら、

じゃあ、「いつ??」ってことになる。

遠距離で付き合いかれこれ15年が経過。

これは、事あるごとにふたりの間で話題になる。

最近何故か旦那は「早く一緒に暮らしたい」とばかり言うようになった。

 

今のまま互いに同じように仕事をしていたら、全く何も進展しやしない。

やはりどこかで見切りをつけて、一緒に住めるべく環境を変えなければいけないのだ。


「何かを変えるためには何かは捨てなければ前に進めない」


それは相当の準備と覚悟が必要だろう。


そろそろ本気でふたりの将来を考える時がきているのかもしれない。