今日が仕事納めだった人、多いんじゃないかな?
自分もそのひとり。
でも職場では、地方に帰る人、家族で旅行の人などで、半分くらいがすでに休みに入っていた。
4時からの納会は、自分は少し口をつけただけで席に戻り、定時でそっとオフィスを後にした。
帰りの東京駅周辺は、帰省客やら家路に急ぐ人でごった返し、中には既に出来上がっている人も…
年末年始って、長く休みが取れるのはいいけど、ワサワサした世間の雰囲気がすごく苦手。
ただ数日過ぎるだけなのに、
「年が終わる!新しい年が来る!」
と急き立てられ、気ぜわしい。
子供の頃はすごくワクワクしていたのにな。
思えば2018年は、勤務先のプロジェクトに加えられ、精神的にも肉体的にもかなりハードな日々だった。
体調面では、勤務先の検診でひっかかり再検査。旦那は夏に熱中症で倒れるわ、高齢の親は不調が多いなど、とにかく「健康であること」がいかに有り難いかを、改めて認識した年であった。
ただ、それ以外は比較的平穏な年だったのかもしれない。
特に、今年は旦那と各地旅行をして、いい思い出がいっぱいできた。
GWにヨーロッパ、秋に金沢、そして今月半ばには、雪深い岐阜へ。
旅行は非日常を味わえると同時に、実にリフレッシュできる。
そしてもうひとつ。
自分の中でのニュースは、ブログを2年ぶりに始めたこと。
前は別のところでブログを1年ちょっと書いていたけど、あることがきっかけで強制閉鎖されて以来、もういいやって思ってた。
でも改めて始めてみたら、やっぱり楽しい(^^)
こんな独りよがりのゲイブログを、いつも読んで星をつけてくれたり、コメントを入れてくれたり、本当に有難い限り(中には前のブログを読んでくれていた方までいてびっくり)。
他にもゲイでない人まで、何かのきっかけで都度記事に目を通してくれていて、何だか申し訳ない気持ちにもなってしまう。
自分は同じゲイグループのブログは勿論、異なるジャンルの人のブログもちょこちょこ目を通す。
中でも、何かしらを「頑張っている人」のブログはやっぱり読み応えがあって、応援したくなってしまう。
「ありのまま」もいいけれど、人はどこかで常に何か「努力していく」っていうことが大切だと、みんなのブログを読むたびに強く思う。
さて今日は、もう自分は実家に戻っている。
年取った親の代わりに、大掃除や買い物をするためだ。
旦那も親の介護で、自分と同じ状況。しばらく会えずに寂しいけれど、旦那の家から送ってもらったお餅を食べて、我慢する。
仕事は1月7日から。
それまで少しのんびり過ごしたい。できるかな?
2018年の最後に観るテレビ番組は、大晦日NHKの「ゆく年くる年」。
特に鄙びた趣のある寺を参拝する風景が好き。静かな様子が何とも心落ち着く。
そう、今年最後の旅となった「白川郷」の景色を思い出す。
(展望台から撮影)
世界遺産の合掌造りの集落を前に、自分は旦那に、こう言った。
「のんびりといい雰囲気だけど、ここに住んでいたら退屈しそう。何か面白いことあるのかな?」
今思い出すと、それは情緒も何もあったものじゃないセリフだ。
すると旦那は、
「退屈でも、何もない平凡な暮らしっていいと思わないか?俺はいつも、退屈であろうが嫌なことがない日が“いい日”だと思ってるよ」
と。
ああ、なるほど、そうかもしれない。
若い頃はいつも
「何か楽しいことないかな?」
そんなことばかり考えていたっけ。
でも中年になると楽しいことを探す方が難しい。旅だっていくら好きでもそうそうできるわけではない。
そうなると、やはり自然と旦那のような考え方になるのかな?
「嫌なことがない日が“いい日”」
新しい年は、平凡だけどそんな日を重ねていければと願っている。
また来年も旦那とあちこち旅をしたいな…
(2018年5月 アムステルダムで撮影)
皆さんも、それぞれの良いお年をお迎えください。