年を重ねていくと、些細な事で落ち込んだり、自信喪失する時が多々ある。
例えば、
「仕事が思うようにいかない」
「上司や部下とうまくいかない」
「家族や恋人ともケンカばかり」など。
(はぁ~どうして自分だけ…)
全てが嫌になる。
憂さ晴らしでもしたい。
そんな時はどうするか?
ノンケのおじさんの場合、女性が接客してくれる店に行くというのも、一つの手段であろう。
金さえ払えば、ウソでもお世辞のひとつやふたつも言ってもらい、慰めてくれる(らしい)。
自分ならどうするか?
そう、二丁目に自然と足を運んでしまうのである。
旦那と付き合う前は、いろんな店に頻繁に通っていた。
その店のひとつが、口の悪いマスターがひとりでやっていた小さなショットバー。
行くと決まって、
「あらブス!いらっしゃい!」と声をかけるスキンヘッドのマスター。
“ブス”と言われて嬉しい人はいないはず。
最初は戸惑ったけど、「二丁目では挨拶みたいなもの」と言われ、次第に慣れてしまった(^^)
当時マスターは劇団を主宰し、年に一度?だったか、新宿の小さな舞台で芝居を上演していた。
実は、この店に通い始めた頃、マスターから
「ねえブス、芝居やってみる気ないかい?」
と誘われたことがあったのだ。
もちろんただの冗談だと思い、受け流していた。
だがその後も行くたびに、マスターは熱心に何度も声をかけてくれたのである。
当時、数人のゲイ友にこの話をすると口々に、
「冗談は顔だけにして頂戴!」
「そんな話を真に受けてバカよ!単なるお世辞よ!」
「通わせるための常套手段に決まってるじゃない!初めての客にはみんな同じこと言ってんのよ!」
「バケモノ役でも探してたんじゃない?」
「きっと理想の超ブス役を探してたのよ!ギャハハ!」
散々な言われよう…彼らに話すんじゃなかった(-.-;)
まあいい。毒舌キャラのゲイ友ばかりじゃない(^-^)
もっとおとなしいゲイ友のTちゃんにも聞いてみよう。
Tちゃんは、自分と同い年。彼も自分と同じくひとまわり近く離れた旦那さんがいる。
いろいろ話も合うんだ。
Tちゃんなら何て言うだろう?
(今思い返すと、当時自分はいろんな人にこのスカウト話?をしまくっていたんだな…恥ずかしい(^ ^;)
会って早々に話してみる。
すると、
「○ちゃん(自分のこと)は、俺と一緒で、決してイケメンっていう感じじゃないよね。
いい意味で、身近にいる庶民派タイプ。
親しみやすいキャラがいいんじゃない?」
Tちゃんはいつも相手を慮った言い方をしてくれる人。ホントは年上から好かれる所謂モテ筋。なのに「俺と一緒で」なんて、合わせてくれて、優しいな(^ ^)
「それと…」
(うん?他にもあるの??何かな?)
「○ちゃんは声が舞台向きなんじゃない?高くも低くもなくてさ」
(声?言われたことないな~いつも鼻詰まりみたいな感じなのに?)
声のことを言われたのは正直意外だった。
Tちゃんは、自分が気づかないところや、他人が何も言わないようなところを、美点として褒め称えてくれる人。
きっと自分は、Tちゃんから発せられたような回答を聞きたかったんだろう。
当時劇団には舞台映えするイケメンは何人もいたらしい。当然主役を引き立てるための俳優も必要なわけで…^o^
要は、
「平凡で地味な感じだから」ってことかな?
結局のところ、ホントの理由はよくわからないまま。
いつかマスター本人に直接聞いてみようと思いつつ数年が経過。もはや知る術もない。
なぜならそのショットバーは、少し行かない間に閉店してしまったからである。
二丁目の小さな劇団ではあったが、声をかけられたこと(たとえ冗談だったにせよ)に、当時少し心踊らせ、今となっては、こそばゆい思い出となっている。
その時は、
「こんな自分にも何か可能性があるかも…」
なんて思ったりもした。
昔ほど顔を出さなくなった二丁目。
でも些細なことで、落ち込んだりしたとき足を運ぶと、あの時のことを思い出す。
そして、店のマスター、スタッフ、他のお客達と他愛ない話しをするうちに、
「頑張ればまだまだ自分もイケるんじゃない?」
そんなことすら思い始め、気がつくといつの間にか、立ち直っている(我ながら単細胞(^^))
自分にとって二丁目という場所は、何年経っても現在を楽しめる場所であり、そして懐かしい思い出によって、元気付けられるところでもある。
エネルギーチャージに、また久しぶりに出向いてみようかな?